食育のプロ

 初めて入った天ぷら屋さんのカウンターで、板前さんの揚げた天ぷらを揚がったそばから、間髪入れずに食べていました。一生懸命揚げて下さるものを、一生懸命食べるためにカウンターに座るのですもの、あたりまえでしょう?

 お寿司屋さんのカウンターで、話に熱中してタバコをスパスパ吸って・・・・・・、ネタがかわくまでにぎり寿司をほうっておきますか?

 同じように揚げたてが命の天ぷらを、冷たくペショッとなってから食べたりはしたくないですよね?

 そんなことを話しました。食事の後で。

 「その通りです。料理とは理にかなった料(はか)りごと。熱いものは熱く、冷たいものは冷たく、体毒を冬から持ち越した春には解毒にアクのある山菜を、と・・・・・・料理には生きる知恵が料ってあるのです。きちんとダシをとったみそ汁で育てれば子供はまっすぐ育つのです。」

 調理後こんな哲学者みたいなことをいう石川県金沢市音羽屋の清(せい)さんとの出会いでした。

 人間の本能である食欲を生命のため、代謝起動(たいしゃきどう)として正しく使うことを学習するのが食育です。

 同時に食事を作る側と食べる側、相互の愛情を育むことでもあるのです。

 清さんは、

 「料理はコミュニケーション! 言葉のいらない会話です。」

と、言い切っています。

 それはカウンター越しに座っている間に御馳走が食べたい時は御馳走を。疲れているような時は、たっぷりの酢を使ったものを。

 落ち込んでいる時は元気の出る味付けを、風邪気味だったら胃にやさしい物を、 ご飯をいただきたい頃には、美味しい漬け物とみそ汁を・・・。

といった自由な料理構成で味あわせてくれることで体現してもらえます。

 相当な修行を積んだ清さんは弟子をとらずたったひとりで、彼の理に料った美津子夫人をアシスタントに、着物姿にタスキがけ、素足に木(き)ゲタで頑張っているのです。

 能登の実家のお母さんも、切り干し大根、寒干し大根、干し野菜を何種類も作って本物の食材を提供してくれているそうです。

 いつも行く度に、彼の料理を食べながら、そのあまりの愛情と美味しさにジーンとしてしまうのです。

 吉祥寺の研究所での食育もこの清さんと同じ心と発想で作っています。

 毎回、有志がボランティアで材料を持ち寄り、手をかけ心をかけて料理して下さり、無償の愛をみせて下さるのです。

 金沢も吉祥寺も、プロが作る、素人が作るということ以外は食べた人が「元気にまた頑張るぞ!」という力を貰うという点で、また、生命のひとつひとつの大切さを感じ合えるという点で、等しく、食育のプロといえると思います。

 食べさせてもらう私たちももっともっとプロにならなくては、という思いで、毎食作った人食べる人が最初のひと口をお互いに食べさせ合っています。

 そのせいで初めていらした人同士の和気愛々(藹々)です。

 各ご家庭でも、このひと口ずつ食べさせ合うことを家族間でできたら最高です。

 食育のプロファミリーになれることを受け合いましょう。