悶々と考える日々

夜はよく眠らないし、食事もろくに食べられない日が続き、小児科医にも診てもらいましたが、

「ねぇ、お医者さん。お医者さんもいつか死んじゃうの知っているの?」

と聞くしまつで、お医者さんはきょこちゃんのお尻にプツッと太い栄養注射をしました。

お医者さんをはじめ、誰もきょこちゃんを納得させる答えを出せない日々が3ヶ月近くも過ぎたある日、八郎おじちゃんが朗報を持ってきました。

おじちゃんは新聞社で働いていました。職場の先輩にきょこちゃんのことを話したら、先輩がS大学の名誉教授とのお仕事の打ち合わせの時にきょこちゃんのを話したところ、

(職場の先輩は笑い話のつもりで話したらしいのですが・・・・・・・・・)

名誉教授は、きょこちゃんを連れてきてもいいと仰ってくださったそうです。

「それでね、姉さん、先輩が次の教授先生の講義の日にきょこちゃんを連れてってくれるって言うんだけど、どうだろう? きょこセンセイはどうする? 大学に行くか? 行って偉い先生に心配してることを聞いてみるか? 質問してみるか?」

お母さんが答えるよりも前にきょこちゃんは

「行く! 行く! 質問するぅ!」

と久しぶりに元気の戻った声で言いました。

きょこちゃん、いよいよ大学へ!

次の週、新聞社の車に乗ってきょこちゃんは大学に連れてってもらいました。門を入ると広い校庭には大きな樹々が茂り、まるで! まるで! 1つの町のようです。

「わぁ!! なんて!! なんて!! 広いの」

校内の道は必ずどこかの校舎に繋がっているらしく、学生たちが歩いていました。

「コンニチワ!!」

きょこちゃんが声をかけると、学生たちはちょっとびっくりした表情で

「こんにちは」

と、小さな声で答えます。

(大学は1番難しいお勉強をするところですもの、大きな声を出しちゃいけないのね)

と、きょこちゃんは考えました。

学生たちは大学では決して見ることのない小さな生き物に出会ったような、驚きの眼差しできょこちゃんを見ていたのですが・・・・・・。

八郎おじちゃんの先輩―――赤羽さんと言うのですが―――が、きょこちゃんを伴って、“五号館”と書かれた校舎に入っていきました。長い廊下には長椅子がいくつも置いてありました。

赤羽さんはその1つにきょこちゃんを座らせると、授業が終わるまでここで待つんだよと言い、その後「電話をかけに行ってくるね」ときょこちゃんを1人にして行ってしまいました。

赤羽さんはきょこちゃんのことをあまりよく知りませんでしたから、小さな女の子であるきょこちゃんは言いつけどおり、少しの間ならじっと座っていられるだろうと思っていたのです。

暫くは長椅子に座って足をブラブラさせていたのですが、なぁんにも見るもののない人気(ひとけ)のないガランとした廊下は不気味なほど静かできょこちゃんは心細くなっていました。

その時、どこか遠くからかすかに人の声が聞こえてきました。

「あらっ?」

きょこちゃんが声のほうを辿っていくと、廊下の1番前のドアの中からかすかに人の話し声がしています。

ドアは観音開きの黒くて重いものでしたが、ちょっとずれた扉の間から声が漏れていたのでしょう。きょこちゃんはようやく手の届くタテ長の金属の取っ手を引っ張ってみましたがビクともしません。

今度は一方のドアに足をかけて思いっきり力を入れて引っ張ってみました。

ギィ~~~~ッ、バァ~~~~ッ!!

次の瞬間、きょこちゃんはドアの取っ手につかまったまま講内の学生たち全員と顔を合わせていました。一斉に学生たちは笑いましたが、壇上の先生はマイクで

「やぁ、きょこちゃんだね、そこにかけたまえ」

と仰って、1番前の席を指示してくださいました。

きょこちゃんがイスにちょこんと座ると先生は何事も無かったかのように講義を再開されました。授業内容はとても難しく、きょこちゃんには理解できませんでしたがうっとりと聞きほれていました。

初めて会うのにこの偉い先生が

「きょこちゃん」

って呼んでくださったこと、もうすぐこの先生がきょこちゃんのずーっと悩んできたことに答えを出してくれること、色々なことを思うとどうしてもお顔がニコニコしてきます。

200人近い学生たちは、ニコニコと興味深げに講義を聞いている小さな子供のいることで、なんだかいつもよりずーっと授業が面白いように感じられました。

講義が終了するとき先生が学生たちに

「何か質問はありませんか?」

とお聞きになりました。

学生たちは少しザワザワとしましたが、手を上げる人は誰もいませんでした。

もう1度先生が

「何か質問はありませんか? もし質問が無ければ・・・・・・」

全部言い終わる前に

「ハイ!」

1番前の席から手が上がりました。きょこちゃんです!!

きょこちゃんはせっかく偉い先生が質問ありませんか?と聞いてくださっているのに、誰も手を上げないなんて、随分失礼なことのように感じていました。そこで我慢できずに手を上げてしまったのでした。

「ほおぉ!」

先生はきょこちゃんのほうを見て、

「はい、どうぞ」

とおっしゃいました。

「ハイッ! えーと・・・、えーと・・・」

「きょこちゃんでしたね。私に何か質問があって今日大学に来てくれたんでしたね? その質問をしてくれるのかナ?」

「えーと・・・ハイ!! そうです」

「ほーーーっ」

っというような声が上がり、帰りかけていた学生たちまでまた座り直したようです。

「それではこちらに来てください」

先生が仰ると、すぐそばの席にいた学生の1人がきょこちゃんを抱き上げてヒョイと壇上にのせてくれました。

今やきょこちゃんは大学の偉い先生の横に並んで立っていました。

先生の横に立つときょこちゃんの背は腰のベルト位です。先生はいすに腰掛けるときょこちゃんと目線を合わせて、さぁっ、という風に微笑まれました。

そこで、きょこちゃんはピョーコの死んだことから穴に埋めたこと、人は誰でもいつか必ず死ぬことを知ったことなどを話し出しました。

「きょこちゃんは死ぬことが恐くてたまらないんだね、死ぬことが恐くないようになりたいの?」

と、先生。

「ううんと、死ぬことは恐いし・・・燃やされちゃうのは嫌なの。穴に埋められるのもね。でもね、よっちゃんもお母ちゃんも、お父ちゃんも八郎おじちゃんも、材木屋のおじちゃんもお医者さんも、みーんないつか必ず死ぬって知っているんですって。あ、よっちゃんはまだ小さいから知らないけど・・・。みーんな知っているのに毎日楽しく暮らしているの。きょこちゃんは、大好きなみんながいつか分からないけど必ず死んじゃうのやなの。だから楽しく暮らせないの。みんなはどおして死ぬって分かっているのに平気でいられるの?」

きょこちゃんはここで初めて壇上から、1番難しいお勉強を偉い先生からいつも習っている大きな人たちは平気なの? と問いた気な表情で大学生が着席している方を見ました。

「みなさんはどう考えますか? 生と死については人間の飽くなき探求心原点ですが・・・・・・。人は必ずいつか死ぬと知っていますよね? みなさんはそれなのに、なぜ平気で今を生きていられるのでしょう? そういう質問をここにいるきょこちゃんはしています。そうですね?」

きょこちゃんは「コクン」とうなずきました。

「諸君の中でこの質問に答えてくれる人があったら、どうぞお願いします」

場内はシーンと静まり返っていましたが、何人かが手を上げ、先生はその中の1人を指されました。賢そうな男子学生はゆっくりと言葉を選びながら話し出しました。

「地球上の生物はみんな新陳代謝をするように生命サークルのルールを持って生まれてきます。ですから、この生命サークルのルール内での新陳代謝である死というものは必然事項なので、潜在的必然性として恐怖を持っていないのです」

聞いたことを熱心に理解しようとしているきょこちゃんの存在を意識し直して言葉を続けました。

「つまり、生物に・・・えーと、生きている者すべて、人も動物も死ぬことがなかったら地球はパンクしてしまいます。だから、生物には生まれたときから必ずいつか死ぬ時がくることは当然のこととして脳の中にその計画が書いてあるんです。今、目の前で死ぬことと直面したら・・・知ったら、恐怖心を持ちますが、生物としていつか死ぬ日がくる事は、当たり前のこととして脳が知っていることなので、普段は意識しないで平気に生きていられるのだと思います」

「はい、大変分かり易く論説してくれました。哲学だからといって、難解に説明する必要は無いのですが、その点でもとても優れた話でした。他には?」

「はいっ!」

「では君! どうぞ」

「はい、生命とは一刻としてとどまることのない運動状態を指します。運動は上昇、頂点、下降という波形を作ります。最下降することが死です」

「はいっ!」

「はい、君」

「死は最下降とはいえないと思います。むしろ、最上昇ではないかと・・・・・・」

今まで静かだった講内は学生が生き生きと意見を出し合ってすっかり活気づきました。しばらくして、

「生と死については、諸君がこれからも論じ考え続けていくテーマですが、この辺できょこちゃんの質問への答えをまとめたいと思います」

と先生が学生を制しました。急にまたシーンとなった中、先生もまた静かに話し出しました。

(続く)