死ぬのを決める丁か半(5/5)

 

 優柔不断に生きていながら、人の脳は丁か半か、答えをやっぱり出すのです。人の道徳観や常識と、人の脳の生か死かの判定は、別なのだと思うのです―――人である前に生物だと考えればもっと分りやすいけれど―――。

 妻は自分と別れたら死ぬという。でも、自分の愛する15年間、ずっと愛し続けてくれていた彼女と幸せになるのは、妻と別れるしかない。それが自己中心だけど自分を生かす丁の道。

 そのもう一方に自分が幸せになれる生活があるのに、そしてその相手もずっと待っていてくれているのに(この先、ずっと待たせ通さなければならない)、その生活に背をむけ、愛のないケイベツされる生活をこれから先も続けていくしかない。なぜなら妻を見殺しにはできないから。それが他人中心、自分を殺す半の道。

 結局、彼は半を選んでいたんです。つまり脳は優柔不断ではなかった。

 良識やモラルで正しいことを選んだ方が、長く生きていくのに自己を幸せに導いてくれる方がずっと多いと思います。

 けれど、医学的に治る見込みのない重い病気で、生死を分つ別れ道は、潜在的なこんな選択が大きくものをいう場合があるのも、人間が精神を持つ生き物だからなのです。もっと無心に内なる菌類の声を聞いて欲しかったとも思っています。

 何かもっと適切なアドバイスができなかったものかと、情けない位自分の非力さを感じつつ、トボトボと病院から帰ってきたのです。

 その日から5日後、結局、心呼吸ができなくなったからでしょう。彼は旅立ってしまったと知らされました。

 私はほとんどの場合、関わった方のファイナル・セレモニーには立ち会いません。だって生きている時に全力で応援させて貰うことにしているのですから。何もできない今となっては―――そして残った家族の方々から、

 「センセイには大変お世話になったのに・・・・・・」とお礼をおっしゃられるのを聞くのが気の毒でならないからです。

 だから、彼の時も出席しませんでした。

 ベッドの上で声を殺して、子供のように全身全霊で泣きじゃくってた彼の心がどうか安らかであるように、そして、そのことを彼女が生きている間に決して知ることがないように。長い時間祈り続けて―――。

 いったい彼は、どんな役目だったのかって考えながらです。