2 いじめ撲滅運動のはじめ(2/2)

 

 後日、私の友人がひどく怒ってやってきました。

「あの子のお母さんがPTAの役員で、私の知り合いが同じ役員だから話を聞いて教えてくれたんだけど……。こないだのPTA役員会のときに笑いながら『道太郎君の家では道太郎君がいじめられたのは道太郎君の方に問題があったからで、うちの子なんて気が弱いから、先生から詰問きつもんされていじめの首謀者みたいに勘違いされたけど、思い違いで申し訳ありませんでしたって言われたわ。それでもお見舞いはさせてもらったけどね、なんてったって同級生だし、あちらのお宅困ってらっしゃるようだし、気の毒じゃない』って言ってたんですってよ! それ聞いてもう私、腹が立って腹が立って!! 許せないわっ!」

私はますます悲しくなってしまいました。お見舞いを受けとらず、縁を切ってしまって、ますますよかったと思うばかりでした。そんな人たちのお金を1円でも受け取ったら、道太郎があまりにもかわいそう過ぎると思っていました。

 今にして思えばその時点から、後々の「いじめ撲滅」運動がスタートしたのです。

 身が震えるほどの怒りや無念さの中で、母親である自分の罪が一番重いと再認識もしていました。そんな人たちの子供の中に無防備に道太郎を投げ入れていたに等しかったからです。

 

「いじめは、どんなことがあっても許してはいけない」

「いじめる子を作ってはいけない」

「いじめから いじめられる子を守らなくてはいけない」

 

この3つの信念はこのときはっきりと私の中に決定づけられたのです。

 いじめの正体は何なのか……。それが何であれ、人間として決して許してはいけないことなんだと、この先の人生をかけて伝えていかなければならないと決心したのです。