1 ノータリンと呼ばれてた(1/3)
車イスに縛りつけながらも色々な所へ連れ歩いているうちに、あることに気づかされました。それは小学校の下校集団に会ったときのことです。
身動きのままならない不自由な道太郎が身悶えるようにもがいて、小学生たちの群れから自分を隠すような仕草をするのです。
そのうち全身痙攣が起こり息を詰まらせだしました。呼吸を確保するため身体を押さえつけ、何とか落ち着かせようと私も必死になりました。
「ミッタロ!! ごめんねぇっ!! ごめんねっ!!」
何分かわからないうちに気がつくと小学生たちの姿はなく、道太郎と車イスごと歩道に転がっていました。(道太郎はいじめにあっていた小学生を心底恐がっていたんだ)とはっきりと事実を突きつけられ、こんな脳になってもその恐ろしさは感じているということがかわいそうで、いつまでも苦しくてたまりませんでした。
長男道太郎は日頃の無理がたたってとても難産だったので、生まれたときにすぐに泣きませんでした。そのため酸素呼吸に時間がかかり、脳に酸素がすぐに行かず酸欠状態が起こり脳の血管がもろくなり、左半身が自由にならない後遺症が残ったのですが、それはごく軽いわからない程度のもので小学校5年生まで元気でした。しかし、動きが鈍いとか、のろいなどと言われて、ずいぶんいじめにあっていました。左の耳が聞こえにくく反応が遅いのを、聞こえない耳は要らないと、クラスメートから耳に粘土を詰められたり、見えにくい目に刺激を与えてやるんだと目を蹴られ失明しそうになったり、階段から突き落とされたりと、はっきりいじめとわかる出来事がたびたびありました。
そのたびに私は道太郎に言い聞かせていました。
「いじめる子は心が貧しい子なの。人の嫌がることを平気で面白がってできるのは心が病気なのよ。その子がいい子になるように神様にお祈りしましょうね」
道太郎は言いました。
「でもお母さん、あんなひどいことをする子には、神様だってどうしようもないんじゃない?」
「だったらもっと一生懸命お祈りしてあげましょうよ」
道太郎ごめんね! 心が貧しいなんて生ぬるいことじゃなく、脳の中が病気なんだと教えて、道太郎を守ってあげればよかった! その頃の私はそこまで勉強ができていなかったのです。おまけに母親として一生忘れられない大罪も犯していたのでした。