5 シィーケェーンモ ナァーンモナァイ
当時の家にはクーラーがついていませんでした。日中は蒸し暑くて、体温調整機能がうまく働かない道太郎は、部屋の気温が30度を超えると必ず高熱を出しました。最初は39度以上の体温計にびっくりして、お風呂おけにありったけの氷を入れ、それだけでは足らなくて買いおきの冷凍食品まで投げ込み、自分がその中につかって自分の体温を下げ、冷たい身体で道太郎を抱きかかえて熱を下げようとしたりしました。3~4回ですっかり熱を下げることはできましたが、冷凍食品の破れた袋からすっかり解凍された海老がプカプカこぼれ出してきて「これ食べられるかしら」と、ふと考えている自分に笑ってしまいました。そんなことを繰り返しつつ、脳に刺激を与えられることは何でもしながら1年ほどが経った頃、うっすらかかっていたもやが晴れるように意識が戻り始め、片言で意示を伝えてくれるようになってきました。記憶はめちゃくちゃで知能も赤ちゃんくらい。けれども、呼吸停止状態、植物状態から立ち戻れただけで嬉しいという思いでいっぱいでした。道太郎のような脳の欠損状態からは、現在の医学では考えられない回復だと言われたとき、「やったぁ!」と飛び上がりましたが、「あーぁ、それほどのダメージを持っているんだ」と再認識し、だからこそ「そんな道太郎が…」と思えばとても感動しました。生命がある、人間として感情があるってことはすごいことなんだと実感できました。
もう一度大きい脳内出血があれば今度こそ覚悟してください、と宣告を受けながら、今となっては「これ以上失うものなんて何もない」と度胸がすわり、来る日も来る日も得るものが多くて、ケアは大変でも毎日楽しんで過ごしていられました。奇跡的な回復を見せていた道太郎はというと、
「ボァークゥーハァー スゴォーイ シーアーワァセェー(僕はすごく幸せ) シィーケェーンモ ナァーンモナァイ(試験も何もない) オォーカァーサァーント ズウゥーッートォー イーレル(お母さんとずーっといられる)」
なんて、ゲゲゲの鬼太郎みたいなことを言っていました。特に元気な時、目の中にいれても痛くない程の可愛がりようだった下の子への反応はバツグンで、どんなにボーッとしている時でも声をかけるとパッと顔を輝かせ、兄としての誇りが瞬間戻るようでした。
「ベンキョーシローォ……ベンキョーォシテ オォイシャニナッテクレェー(勉強しろ勉強してお医者になってくれ)」が、当時の道太郎の弟へのキマリゼリフでした。今にして思えば、医学で見放された動くことのできない道太郎を生かしていたのは、この弟への無私の愛の力だったのでしょう。自慢の弟への誇りと期待が彼を生かすエネルギーだったのです。その弟が兄のためにとても良いアイデアをひねり出してくれました。中古の軽自動車をもらって来て、クーラーをつけてテントで囲って道太郎の寝ているところに冷気を送れるようにしました。
「ユウユウワァ~~~テェ~~ンサァ~~イ(ユウユウは天才)」
と、お兄ちゃんは大喜び。暑さで熱を出すことが減りました。