2 魔法にかかった王子様
しばらくして回復の見込みが全くないと言われ、病院が難色を示しているのを無理にお願いし、息子殺しから救ってくれた道太郎をしっかり抱きしめて退院しました。生命すら一分先はわからないと医師から言われた状態の道太郎の息がある間は、少しでも自分の手の内に置きたいと思ったからです。息を引き取るときは私の中で、とも思っていたのです。
病院から帰ったときは夜でしたが、家族中で暗い庭でバーベーキューをしました。いつ息を引き取っても悔いのないように大好きなお肉を焼くにおいをかがせたかったのです。そして、その賑やかさでひょっとして目を覚ましてくれるかもしれないという万が一の期待もありました。つまり、息があるだけで植物状態だったのです。集まってくれた親戚の者の中には喪服を持参した人もあったくらいでした。
ドキドキしながら一晩が経ち二晩が経ちました。そして3日目になった頃、私が口移しに飲ませようとしていた水が確かにゴクリと喉を通りました!!
それからは少しずつでしたが口からものが食べられるようになってきました。病院では少しの間は奇跡的にそうした回復をみせても、誤飲したり心停止したりと危機は続いているというか、生存の見込みはもてないと考えていました。その重要さはともかく、人間はいざとなるとつまらないことで情けなく感じたりするものです。12歳の道太郎におむつを当てた初めは泣いてばかりでした。でも日に日に食べられる量が増えると、たとえそれが1/10のバナナの裏ごしや、ヨーグルトが1さじから2さじに増えるくらいのことでも、もっと回復させたいという気持ちが強くなり、刺激を与えるといいかもと、車イスを借り毎日車イスにひもをかけ、縛りつけては色々な所へ連れて行くようにしました。
「お兄ちゃん王子様みたいだね。自分で何にもしないみんなにお仕えしてもらっている王子様みたいだ!!」一年生の次男はそう言っていました。
私はその言葉をすごいアイデアだと思いました。気に入りました。道太郎のことを何もしなくてもいい、王座についた王子様と考えるアイデア、生死の境目にいる動けない重症身体障害者とみるよりもねっ!
脳の中を虫に食われたように大事なところをところどころ手術でとって無くなってしまった道太郎王子様、いつかその虫食いを埋めてくれる魔法の呪文が見つかるようがんばろうと考えるようにしました。
魔法の呪文を解けるように、今やれることをしようと考えました。脳神経学、良導経、細胞学、気学、生物学、栄養学、薬学、香学、色彩療法、音気学、………など、手当たりしだい何でも、道太郎をいまより良い状態にしたいとの思いは、もっと知りたい、もっと分かりたいと日ごとに強くなり、向上心につながっていきました。
それからの私は医学者に会い、専門家に教わり、本を読み、調べ、実験し、考え、時には瞑想をし、睡眠時間が2~3時間でも平気でした。たったその程度の時間さえ眠る間が惜しいほど勉強にのめり込んでいました。学生時代は特に勉強家だったわけではないのに、勉強の目的ができたとき、いくらでも勉強することがあって驚きました。
生命と向かい合う勉学そのものを、自分の全生活の中ですぐに実践する日々でした。だってすぐに実践しなくては道太郎を生かすことができませんでしたから。