3.シャネルとの出会い② 


ココ・シャネルの研究

母は彼女が幼い時に病死、アルコール依存症の父に捨てられ、シャネルは孤児院で育ちました。
小さいころからミシンを踏んで、それを孤児院で売るという生活が18歳(16歳?)まで続きました。
自分で縫えるようになったから、自分をキレイに見せるためのものが作りたい。
いつしかシャネルはそう思うようになっていました。

孤児院を出た後、キャバレーでココという愛称で歌を歌っていました。
当時、女性は働くこと自体が卑しい事。高貴な人は働かないという時代でした。

シャネルは、キャバレーで人気を博し、周りからちやほやされるようになりました。
しかし心の中では、
「自分を高いところにもっていって、素晴らしい人から愛されたい。」
と願っていました。

当時交際していた男性の援助を受け、オリジナルの帽子を制作、
(当時の帽子は非常に高額で、帽子一つで馬車が一台買えるくらい)
帽子のショップを出しただけでなく、有名な人たちに売ってもらうということをしました。

それがきっかけとなり、
高価な商品を買えるクライアントをたくさん抱えることになりました。

生まれも育ちも卑しい自分、働くという行為自体が卑しいと思われる時代。
働く女性たちが誇りを持てる、ある種のステータスになるもの。
シャネルがデザインする商品は、
自分を誇れる、ワーキングガールとして誇れるものというコンセプトでした。

デニム、ジャージ、コットンをゴージャスに生まれ変わらせる。
軍服などをリメイクしたり、勲章などをイメージしたワッペンを作ったり、
働く男性に対する挑戦でもありました。

シャネル=成功した女性の証。新しいことに挑戦している女性としての誇り。

今までのブランドのように、パトロンに買ってもらうのではなく、
自分自身で買う、成功の証としてのブランド。

ショルダーバッグだったり、リップスティックだったり、
その人を印象付けるための香水を作ったり。
全ては女性として愛されたというシャネルの願いを形にしたものです。

初めて本気で愛した人が、友達の旦那さん。(貴族の子女の旦那)
全てを捨てて私を選んでほしい。その人に認めてもらいたい。
その一心でシャネルは仕事に打ち込みました。
当時は卑しい出身であるだけで、高貴な家の出の人の正妻にはなれない。
周りには愛人としか思われない、そんな時代だったのです。

そうした中で、自分を認めてもらい、愛してもらう。妻となり幸せな人生を過ごす。

それが、ココ・シャネルがブランドに託した願いでした。
作品が世間に対して攻撃的にみえるのは、誰よりも愛されたいという
シャネルの個人的願いが叶わなかった時代への反発なのかもしれません。

ともあれ、ブランドは多くの成功した女性たちに愛され、
最高級ブランドとして成長をとげました。

モノ作りの先駆者シャネルのブランドコンセプトから多くのものを学ばせてもらいました。