今、死んでしまいたいあなたへ 死様がない私からのメッセージ(3/3)

それで、今の私の何かが変わったと思います? それが全然変わっていないのです。

 息子は、相変わらず、いつ死んでもおかしくないし、借金は減らないし、犬はシッポを振るし、気分は滅入るしね。

 でも、仕様がないっていうのを聞くと、人が言うのを聞くと、ピキーンとスイッチが入るようになったのです。

 スイッチが入るとあの汚物にまみれてフン死(糞尿にまみれて死ぬから、フン死?)したかもしれない時の、あの苦しさのシーンを思い出してしまうのです。

 この目の前にいる、この仕様がないと思っているこの人には、絶対、そんな思いをさせたくないと・・・。

 で、スイッチが入ってしまうみたいです。

 「コラッ! 仕様がない! やり様がない!?」

 何言ってるの?

 何考えてるの?

 どんなに、辛い状態にいても、どんなに上手くいかない時も、生命があるのなら、息をしているのなら、仕様がない! しようがない! 死様がない! ではないんだよ!って。

 意識のほとんどない息子ミッタロの、鼻と口を手でおさえようとすると、必死で手を払おうをする! 自分で自分のかゆいところすら気付かないミッタロが、死にたくない、死ぬのいやだって、必死で手を払おうとするのです。

 そして、

 「ニコニコしないと死んじゃうよっ! ニコニコしてごらん!」

 と耳元で言うと・・・・・・。

 何回もの手術でフランケンみたいになっている顏、免疫力低下でカサブタだらけの顔、目はただれはれて開かない・・・・・・、その顔で・・・、必死に、ニコニコする! ひきつったように!

 一生懸命、一生懸命、ニコニコするのです!

 その顔をみたら、言えません。仕様がない、やりようがないなんて。

 そんな人はぜひ、生きてミッタロの顔を一度見に来て? きっと何か分かるから。

 今、あなたが、とても辛くて、苦しくて、生きていても、仕様がないと悩んでいるのなら、何か一つでいいから、一日ひとつでいいから、あなたがまだ生きていて、やりようが少しでもあるんだと気付けることをやってみて。知ってみて。

 

 例えば、

 人の手を借りなければ何もできないとしても、

 ―――ニコニコできる―――ミッタロみたいに。

 ―――ありがとう―――と誰かにいえるとしたら、自信を持っていい。「有がとお」は、自分で有ることが少なくとも10はあることなんだから。

 ―――知らない人のためにドアを開けて、押さえててあげたら。

 ―――お茶を一杯、誰かのために入れてあげたら。

 ―――道ばたの空カンをそっとゴミ箱に入れたら。

 ―――お母さんのほどけかかったエプロンのヒモを直してあげたら。

 ―――戦争で苦しんでいる人たちの平和を祈ってあげたら。

 ―――食事のあとに「ごちそうさま」って書いたメモを残しておいたら。

 ―――人の話を聞く時に、今までより一回多くウンウンとうなずいてみたら。

 ―――そう?

 何かひとつでいい。一日、ひとつでいい。自分以外の人のために何かしてあげられたら、仕様がない―――は消えるのです。

 仕様がない人は、人が作った想像の思い込みというユーレイみたいなものだから。

 実際に、ひとつでいい。どんな小さなことでもいいい。他の人のために何かしてあげられたら―。

 ん? そうできそうにない?

 でも、今まで私の話を聞いてくれたあなた、もうすでにひとつはできたじゃない。私の話を聞いてあげられたでしょ? だから仕様がないは消せたんですよ。そうでしょ!