全体の中の全体
30年間、ケアしてきた義父母を見送り、22年間寝たきりの植物状態に近い息子をかかえて働いてきたら、いつのまにかいい歳のオバサンになっていました・・・。
これから先、どうなるのだろう?
どう生きていったらいいんだろう?
幸せになれることもあるのだろうか?
やり直し、生き直しのきかない昨日までを振り返って、ため息ばかりついていると、自分可哀想病にとりつかれて、いよいよみじめになってしまいます。
あーあ。
バレリーナになったり、地球探検家になったりしたかった子供時代。
キューリー夫人やシュバイツァー博士になりそこなった少女時代。
思えばどっさり夢があったのに。
あーあ。
今となってはどの道のエキスパートになるにも手遅れか?
世界中、こんなにいろいろなことがあふれていて、時は刻々と過ぎていくのに、私はなにも実を実らすこともなく、日々、仕事をこなし、息子のケアをしてるだけ。そして、確実に老けていく・・・。
あーあ。
何十回目かの「あーあ」とため息つきながら、道行く人々をみるともなくみていました。
大人も子供も、老人も若者も―――ひとりとして後ずさりしている人はいません! 前へ前へと歩いていく。顔は必ず前向きで・・・。
その先に何があるのか?
何があろうと、誰でも必ず死ぬ時がくるって分かっているはずなのに、前へ前へ歩いていくのです。
不思議です。
そのことに気が付いて、出会う人出会う人に、「死んじゃうって分ってる?死んじゃうって分っているのにどうして恐くないの? どうして平気なの?」―――と聞いて回った5歳の時のあのへんてこりんな気持ちに戻って、「不思議? 人間って」って考えていました。
不思議っていえば、どうしてみーんな違う顔をしているんだろう? これってすっごく不思議? 他の生物にこんなのあるでしょうか? どうして人間だけ全部ひとりひとり違うように生まれてくるのでしょうか?
もしかしたら、あなたも、私も、全員が刻々と変化しながら生きている地球という星の大切なパーツなのかもしれない? ひとつひとつは小さくってパーツ自身には全体像が分からないけど、どんな微笑なネジひとつでも足らなければ精密機械は動かないように、全体の中の大事な一部のパーツは、全体の中の全体になるわけです。
全体の中の一部でもあるけど、全体の中の全体でもあるのがあなたで、私なら私で、それぞれ個々の大切な役割を持っているのです。その人らしく生きる中で、その人にしかできないパーツ(役割)を持って生まれてくるから、ひとりひとり違う顏になっているのだと思いませんか?
だとしたら、22年間、植物状態に近い生命で頑張って息をしている息子も、ミッタロという他の人に幸せについて考えてもらうパーツ役なのかもしれません。
時々は死んでしまいたくなる、このおろかな私でさえもそうです。
あーあ。
もう何のプロも目指せないのなら、いっそ人のプロめざして、自分がどんなパーツ役なのかしっかりとさがしてみましょうか?
戦争で死んでいった先輩たちのことや、22年間植物状態といわれて生き続けている息子のことを考えても、このままアマチュアじゃいけない! 何かしなくっちゃと感じるのです。
そう! そう! そう! ですよね!
自分がどんなパーツなのか、あなたと私もきっと出会えると思えるのです。
今、生きてるのが辛い程、傷ついているかもしれないあなたも、歳をとってくのが恐いと思っているあなたも、
ちょっと待って、
人のプロをめざしてみましょうよ?