はじめの始めのミッタロのこと1

はじめの始めのミッタロのこと1

ここからは、

人のプロをめざす修行中の

私の体験集です。

実用訓練のチャンスは

いつでも、どこでもあるので、

ご自身の応用編を作ってください。


①脳を切り取って22年たったら!

脳の大事な部分が四分の一近く欠落したミッタロは32歳、植物状態から22年がたちました。

 えっ! そうしたら私の歳は何歳? 去年の誕生日は39歳でお祝いしてもらったけれど・・・・・・? 各地の講演会でいつもいいかげんな年齢を言ってたら、そのうち本当の年齢が自分でも分からなくなってしまいました。

 めんどうなのでサンキュ!!、39歳で毎年統一してしまいました。まあ、小学校卒業前に道太郎を産んだとか何とか、皆さんの中で適当に理由を考えてください。

 私が年齢を詐称する理由は、自分で自分の歳を決めてしまって今のように働けなくなると困るからなのです。だって女手ひとつでミッタロのケアをしたり、次男の学費を仕送りしたりしていることが、できなくなってしまうから。

 だから私の脳の中ではいつも働き盛りと認識していたい。自分の口から出る音波が、一番自分の脳波が伝わりやすいのだから。老化老化って言っているだけで、脳波から身体の全細胞に老化が伝わってしまう気がするからです。

 これは私の自己学習のパターン。九九を覚えるのに唱えるのと同じです。だから私の所には〔廊下〕ってない。〔通路〕しかね。そう思いながらケアして22年。ミッタロの脳は10歳11か月でストップしたまま。

 今日一日また生きられた、息ができたと点・点・点・点の日々を送っていますが、22年の間、動かない脳を抱えて生きていると、身体の劣化だけは線でつながって進行しているようで、昨日と比べれば特に変わりはないけれど、5年前からみたらと・・・・・・とても悲しくなってしまいます。

ただひとつだけ救いなのは、本人は一日の大半をウトウト眠って過ごしているので、歳月の移り変わりを感じてないらしいこと。そして、看護婦さんや北町診療所の先生、ヘルパーさん、入浴サービスの人たち、そしてミッタロの一番好きだった良江おばさん―――たちが変わらずケアしてくれること。

 みんなの力をかりて24時間体制でケアができているので、今でも自分で食事を口から食べられていることです。1時間以上もかけて、ひとさじひとさじ根気よく食べさせてもらって、とってもありがたいのだけれど、やっぱりその姿を目にするたび、悲しみが湧き出てしまいます。

 マイナスイオン治療や脳の栄養素、姫まつたけ、活性液乳酸精などを毎日欠かさず使って細胞を活性化することを主題にしてきたのですが、他の人たちにはどれかひとつでも確実に効果をあげているのに、脳の欠落部分の広いミッタロにとっては、良いにしろ、悪いにしろ、反応する部分が僅かしかないから、その情報だけで生きていくのはきっと大変なのです。脳の書物が虫食い状態で判読不能なのでしょうね。

 認めたくない! 信じたくない! けれど機能低下が進行している―――脳神経外科的には、最初4,5日→4ヶ月→1、2年もてばという脳が22年も動いているなんて奇跡―――と絶賛されても何のなぐさめにも感じられないのです。

 脳の幹細胞移植医療が実現できるまで、とにかく生きていて欲しい!そんな毎日ですが、時々身体中の電気が突然ついたみたいに反応することがあって、私たちを感動させてくれます。彼がしているのは、できるのは深呼吸じゃなくて、心呼吸だからなのかもしれません。

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