よっちゃんが退院! 神父様と仲良し!
そのかいあってか、よっちゃんは日に日に元気を取り戻し、1ヶ月の入院を終えて無事夏休みの終わり頃退院することができました。
この一件できょこちゃんは目には見えない神様が教会に住んでいて、いつもきょこちゃんのことを見ていてくださると思うようになっていました。
ある日そう神父様にお話しすると、―――神父様とはあの日以来とっても仲良しになっていました。―――
「それは少し違いますよ。神様は教会だけでなく、どこでも感じられますよ。この世界がすべて神様のお住まいなのですから」
と、これはきょこちゃんが大人になって理解できるようになるまで忘れられないお言葉でした。
そのことがあってから後、厳しく叱ることをしない忙しいお母さんに代わって、きょこちゃんは自分自身を躾け始めました。
『私たちは日々自分を厳しく律しなくてはなりません』
という神父様のお言葉をきょこちゃんなりに解釈したのです。その躾け方法も神様に「良い子にします」とお約束してそれを守れなかった時、自分に罰ゲームをさせるというきょこちゃんならではのものでした。
躾けのことを神父様にお話しすると苦笑いされましたが、特に禁止はされませんでした。
子供が成長する段階で自分を律することは良いことだと考えられたからです。けれどもその罰ゲームの内容を知らなかったので、神父様にとっては幸いでした。もし知っていたら!!? 神父様はなんと仰ったかわかりません。
その内容とはこうです。ある日、よっちゃんを泣かせずに遊ばせることができなかったきょこちゃんは、2階の物干しで蚊に刺されながら
「ケロ、ケロ、ケロ、ケロ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
と声がかれるまで蛙の鳴き真似をする罰を科しました。―――ケロケロ鳴くことがなぜ罰になるかって? それはみっともないことだからです。―――
また、ある日の別の罰は、よっちゃんをより可愛く見せたくて髪をカットしていると、左右がなかなか揃わずだんだん短くなり、よっちゃんを泣かせてしまいました。そこで、自分の大好きなお洋服と自分の髪の毛をズタズタに切ってしまいました。などなど、こんな具合です。
きょこちゃんは自分にとって1番つらいことやカッコ悪いことを、元気よく喜んですることが罰だと思っていたみたいです。
それからの数年間、きょこちゃんの罪と罰を数え上げたらきりがありませんが、それら一連のいたずら(大人たちからはそう思われていました)が神様にお喜びいただけたとはとても思いません。けれどもその努力は大いにお認めくださったと信じたいです。
当の本人はよっちゃんも元気になったことだし、自分への躾けもよくできてきて、段々良い人に育っているといい気持ちで信じていました。そしてこの自分への躾けは、きょこちゃんが中学生になるまで続けられました。
(おわり)